2016年5月3日(火)大手町に森を探して

えっ、大手町って東京の真ん中でしょ、そんなところに森があるの? だれもが驚くだろう。実は私も驚いた。でも、知る人は知っているらしく、先日の社叢学会の研究会で、講師がさりげなく言及されたのだった。

東京に住むものとして、大手町に森があることを知らないなんて、恥ずかしいじゃないの。というわけで、さっそく友人と3人で連れだって、青空のもと、森を探しにでかけたのは、憲法記念日の5月3日。

丸の内仲通りの延長線上にあるらしいので、すぐわかるはず。これでも昔、丸の内でOLをやっていたのだから。そして見つけた! すごい! ほんとに森だ! 

地図なんかなくてもすぐわかる。そこにある木々が目印だ。並木道のように整然と並んでいるわけではなく、同じ樹種が並んでいるわけでもない。雑然と植えられているさまは、雑木林だ。木々は植えられてからOLYMPUS DIGITAL CAMERAかなり育っているようで、下草もかなり生えている。土地にはかなり高低差があり、石垣さえある。

説明板によると3600平方メートルにわたる広大な土地に、高木・中低木など合わせて100種ほどの木々が植えられているとのこと。コムズカシイことは説明板を読んでいただきたい。どなたが考え、どなたが実行したのか知らないが(説明板には書いてあるのだろうが)、よくやってくださいました、といいたいほど気持ちの良い環境が、ここ大手町にできつつある。

残念だったのは、森の中にとってもいい雰囲気のカフェがあるのだが、人気がありすぎて、休日にもかかわらず1時間待ちとのこと。それでも私たち3人は、森をのぞめるほかのカフェをやっと探して、鳥の声がするとか騒ぎながら、都会のオアシスを満喫したのだ

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森のなかのカフェ

った。

 

2016年4月25日(月)春の一日、見沼たんぼを歩く

前日の雨もあがり、すっきりと晴れた4月の月曜日。埼玉県の見沼にある天然記念物クマガイソウの自生地にでかけた。

見沼はさいたま市と川口市にまたがって存在していた巨大な沼である。現在はかなりの範囲が開発されてしまったが、それでも今なお残る広い水田は「見沼田んぼ」と呼ばれ、いろいろな動植物が生息している。

今回の目的であるクマガイソウは、大きく特徴的な花の形が、昔の武将、熊谷直実が背負っていた母衣(ホロ)に似ていることから名づけられたもの。多年草だが、全国でも自生地は少なく、絶滅が危惧されている。

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 クマガイソウ

自生地は、農家の広い竹藪の庭の中にあり、入り口で維持協力金300円也を箱に入れ、だれもいない庭に「コンニチハ」と声をかけて入った。入るとすぐにクマガイソウが咲いていた。歩いていく足元には、ホウチャクソウ、アマドコロ、ニリンソウ、チゴユリ、ツルニチニチソウ、キンランなどが乱れ咲き、目をあげるとモッコウバラが鮮やかだ。坂をくだると、これも天然記念物のイカリソウの自生地で、その名となった碇(イカリ)に似たピンクの小さい花がけなげに咲いている。

ぐるりと歩いてくると庭先にこの家のご主人だろうか、年配の男性が座って写真を眺めていた。

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 イカリソウ

「花がきれいですね」と声をかけると、「昔はこんなだったんだよ」と一面に咲くクマガイソウの写真を見せてくれた。なるほど、以前はこれほど豊かに咲いていたのか。

「難しいよ、竹藪の中に咲く花も、何もしないのに少なくなったり、位置を変えるしね。春にはどんどん生えてくる竹を間引きして、冬には雪で竹が折れるから雪おろしして」

「雪が降るんですか」「30センチもつもる。そんな話をすると、じゃ今年の冬は手伝いにくるよ、という人たちもいるが、実際に来たことなんかありゃしない」

「でも、きれいですもの。私なんかこれが楽しみで、3年続けてきています」

「来年もくるかい」「はい、きます。ですから、お元気で花たちの世話、お願いします」

見沼たんぼ約束してしまったので、来年もくることになった。

野鳥の声を聞きながら、花いっぱいの見沼たんぼを横切り、バス停まで歩いていくと、芝川の向こうに埼玉新都心の高層ビル群が並んでいるのがみえた。

 

2016年3月11日(金)『つなみのえほん』

つなみのえほん

今年もまた3月11日がやってきた。日本じゅう、いや世界中を震撼させた大地震とそのあとの大津波。そのことは改めてここに記す必要もなく、人々の記憶に鮮明に残っている。

あの日、東京の事務所で私たちがテレビで見たものは津波が人々を襲う言いようもない恐ろしい光景だった。その数か月後、私たちはかの地を訪れた。災害の爪痕に言葉もない私たちを、現地の人々は優しい笑顔で迎えてくれた。

その時に知り合った人のひとりが、この本を送ってきてくれた。『つなみのえほん』。宮城県南三陸町のくどうまゆみさんがむすこのゆうすけくんに書いたじっさいに経験したつなみのはなし。

神社であるまゆみさんの家はさいわいにも地震では無事だった。でもそのあとに襲ってきた巨大な波また波。「ここは高いからだいじょうぶ」というおばあちゃんをひきはがすように連れて、高台に逃げたまゆみさん一家。すぐそばを、家が自動車が電信柱が、滝のように海へ流れてゆく。

「やめて やめて 津波に叫びながら にげる」

「にげて にげて もっと高いところ もっともっと高いところ」

まゆみさんは、このときの経験を決して風化させないために、この本を書いた。私がこの本の表紙をブログに載せる許可を得ようと電話した際、出版社は「お願いします、一人でも多くの人の目に触れるように」と言った。

大地震とそれに続く大津波は、日本に住む私たちにとって遠い未来の話では決してない。その時私たちは、「てんでんこに(一人一人がそれぞれに)」逃げていかなくてはならないのだ。

『つなみのえほん』 ぶん・え くどうまゆみ /㈱市井社/03-3267-7601/1200円+税

2016年2月28日(日) 旧中川堤を歩く

春を思わせる2月末のうららかな日曜日、友人の家を訪ねた後、サクラが咲いていると聞いて、近くの旧中川の川辺を散策した。サクラと言えばソメイヨシノが多いが、最近は河津サクラが人気だ。1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜である。花は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも桃色が濃く、花期も長い。
旧中川堤の桜この日もすでに八分咲きの河津サクラを求めて、近くの住民が三々五々集まり、写真をとる人、お弁当を広げる人、子どもを遊ばせる人などでにぎやかだった。遠くには東京スカイツリーも見える。
旧中川は、東京都江戸川区と墨田区、江東区の境界を流れる全長6.68kmの河川。地元では、3月10日の東京大空襲の犠牲者の慰霊のために、毎年8月15日に「旧中川灯籠流し」が行われていることで有名だ。
かわせみの島川に沿って歩いていくと、中洲に葦の茂る叢があり、その中になにやら小さなコンクリートの建造物が見え隠れしている。水辺に立つ説明版には、「カワセミが生息する川づくり」とある。この葦の中洲にあるコンクリートはカワセミの巣作りのためのもののようだ。いつの日か、カワセミがJRの線路の上を飛ぶ光景が見られるのだろうか。東京都江東治水事務局の健闘を祈りたい。

2016年2月26日(金)しばしの別れ

今年3月からMOA美術館がリニューアルのため一年間、休館になると友人から聞かされた。そのためその前に「大名品展」と称して、同美術館が所蔵する名品の数々を厳選して見せてくれるという。なんというラッキー、なんという幸せ!! 2月某日、熱海にあるMOA美術館に向かった。急な坂道をバスが登りきると、その先にあるのが、あこがれの美の殿堂だ。ここには今までに何回も夫と通った。創立者・岡田茂吉が蒐集した美術品のコレクションは、3点の国宝、65点の重要文化財を含め、約3500点にのぼるという。さぞかし混雑しているだろうと覚悟していったおもわくは嬉しくもはずれ、名品の前には、チラホラと人の影が見えるだけ。 紅白梅図屏風所蔵品のなかでも、野々村仁清作「国宝 色絵藤花文茶壺」と、尾形光琳が描いた「国宝 紅白梅図屏風」(写真は美術館のパンフレットから借用)は、知らない人はいないというほどの名品だ。これでしばらくの見納めと思うと、名残惜しくて離れられない。ぐずぐずと右へ寄ったり左から見たり。

 もう一つの国宝は「手鑑 翰墨城」で、パンフレットによれば、奈良時代から南北朝・室町時代の各時代にわたる古筆切が、表側154葉、裏側157葉の合計311葉が押されているという。書の好きな人には垂涎ものだ。以前に京都国立博物館の「藻塩草」と出光美術館の「見ぬ世の友」も見たので、これで古筆三大手鑑をクリアしたことになる。目の効かない私には、ただ「見た」というだけだが。このほかにも「樵夫蒔絵硯箱」など、滅多にみられない名品ばかりで、終わるとぐったりと疲れてしまった。梅がチラホラと咲く初春の一日、美に酔いしれたひとときだった。

2016年2月23日(火) 月にカエル?

先日の寒い夜のこと。友人に会うために、薄暗い道を急ぎ足で歩いていたら、グニャと何やら柔らかいものを踏んだ。ヤダ! あわてて飛びのき、電灯の光で透かしてみると、なにやら黒いものが…。しかもピクピクと動いている気配だ。えーっ、ひょっとすると、ネズミ? ネズミは私の世界の三大嫌いなものの一つである。あとの二つはって? 絶対に言わない。

でも幸いなことに、ネズミではないようだ。目をこらして恐る恐る近づいてみると、なんと、カエル! 冬眠から目覚めたところを自転車にでもひかれたのだろうか。とにかくこんな所で寝ていると今度は車にひかれるよ、と心優しい私は、できるだけ触らないように、そばにあっ月にカエルた棒の先で草むらに向かってひっくり返した。

それから30分。用事が済んで同じ道を、またおっかなびっくりで通ったのだが、カエルの姿はみえなかった。車に轢かれた様子もなく、ひと安心だ。どこかに逃げたかな。

川の堤防に沿って歩いていると、家並みのうえにまん丸い月が出ていた。そうだ、今夜は満月だ。あのカエルは、きっと月に帰ったのに違いない。中国では月にはカエルが住む。日本でも、月にはウサギやカラスのほかに、カエルが描かれている絵もあるもの。

カエルそう思ってみると、いつもはウサギが餅をついているような月の影が、今日はやけにカエルそっくりに見える。「カエル、カエル、なに見てカエル」と小さい声で歌いながら夜道を帰った。

2016年2月1日(月)「子どもの貧困」って?

このところ悲惨なニュースが続いているが、先日は自分がかかわっている活動のなかでも、子どもの貧困のことで胸がつぶれる思いがした。

昨年から「『なくそう! 子どもの貧困』全国ネットワーク」に参加している。と言っても、ときどき寄付金を送る以外は、何をしているわけでもない。ネットワークに入った途端、送られてくる情報量の多さと、全国で子どもの貧困をなくすために活動している人たちの熱心さに、圧倒されるのみだ。

もちろん、彼らの働きだけで世の中にはびこる子どもの貧困はなくなるわけではない。だが、こうした「かわいそうな子どもたち」のことは、日本の一般の人にとって時々雑誌で読んだり、短いニュースで聞くぐらいで、あまり身につまされることはないようだ。私もそうだ。私の回りの友人知人たちもそうみえる。

でも平和で、物がありあまっているように見えるこの平成の時代にも、毎日のご飯が食べられない子供たちは現実に存在しているのだ。空腹に耐えられず、「ティッシュって甘いんだ子どもよ」と言って、町角で配られるティッシュペーバーをおやつ代わりに食べている子どもたち。そして、参加したシンポジウムで、地域のつながりづくり・子どもの居場所づくりの実践報告を、黙って聞いているだけの無力な自分。

政府が経済界などと連携して呼びかけている「子供の未来応援基金」の知名度は低く、集まった寄付金は驚くほど少ない。政府の力の入れなさの程度がわかるというものだ。みなさん、関心があってもなくても、一度、ホームページをのぞいてほしい。

「子供の未来応援プロジェクト」 http://www.kodomohinkon.go.jp/

「なくそう子どもの貧困」全国ネットワーク http://end-childpoverty.jp/

2016年1月30日(土) サクラサク!

Tさんという中国からの留学生の、日本語の勉強のお手伝いを始めてから、一年以上が過ぎた。3年半前に日本に来たとき彼は、日本語をまったく話せなかったそうだ。大変意思の強い男性で、日本語学校に2年間通って日本語を学び、その間に日本語検定試験をうけて1級に合格し、さらに某大学の大学院を受験し見事にパスした。しかもその間に毎朝のジョギングで、80キロの体重を60キロに落としたというから、意思の弱さを自覚する私は、耳が痛いことばかりだ。

アルバイトをしているせいか、日本語の会話は上手だが、やはり時々間違った敬語の使い方をしたり、難しい語が読めなかったりする。そういう間違いを指摘したり直したりするのが私の役目なのだが、実をいうと雑談が多く、1時間30分のレッスン時間はいつも笑いながら楽しくすぎていく。

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彼は十数社におよぶ日本の会社の試験を受け、めでたく今春からある会社に就職することになった。修士試験もパスした彼を、私はレストランに誘い、いつものように楽しく時間を過ごした。おそらくこれが学生としての彼との最後の食事になるだろう。結婚したら必ず知らせてよ、と笑いながら言う私に、彼は急に真面目な顔をして、「本当にありがとうございました。ボクが就職して最初の給料をもらったら、まず一番に梅田さんを食事に招待します」と言った。

思いもかけぬ言葉に胸がいっぱいになった私は言葉が出ず、一年以上の付き合いで初めて彼と握手をして、別れを告げた。彼のこれからの長い人生が、幸せで実り多いことを祈らずにはいられない。

2016年1月23日(土) ネズミに勝てないネコ?

JR両国駅を下車し、10年ぶりの日本人力士の優勝でわく国技館とは反対方向に歩いていくと、回向院に突き当たる。1657年の明暦の大火の犠牲者を葬ったことから始まるこの寺は、諸宗山無縁寺回向院という正式名称のとおり、刑死者・水死者から横死者など無縁仏も、宗派にこだわらずに埋葬するし、人間のみならず、生あるものはすべて供養するという理念から、境内には「猫塚」「小鳥供養塔」「軍用犬・軍馬慰霊碑」などさまざまな動物の供養碑が立ち並んでいる。

ネズミ小僧山東京伝・京山の兄弟、加藤千蔭など有名人の墓もあるのだが、一番人気は何と言っても大泥棒・鼠小僧次郎吉だ。と言っても、刑死した次郎吉はここには眠っていない。立っているのは供養墓である。説明書きには「鼠小僧の墓石を欠き 財布や袂にいれておけば 金回りが良くなる あるいは持病が治るとも言われ…」とあるように、今も墓(ではなく、削られて今や形も判然としないお前立の石)を削って、ご利益を授かろうとする老若男女の姿が絶えない。

ネコ塚ところで、ネズミ小僧の供養墓の隣には「ネコ塚」がある。かわいがってくれた魚屋が病気で稼げなくなり、やむを得ず商家からお金を盗み出した猫が、見つかって殺されてしまった。魚屋と事情を知った商家の主人が、猫を憐れんで回向院に葬ったという話。一時は「ネコの恩返し」として評判になったネコだそうだが、隣のネズミ小僧に比べるとパッとしない。やはり、パワースポットになるには、人間に何かご利益を授けなければならないようだ。

2016年1月10日(日)わあ、これ、ほんもの?

そういえば、今年になって上野の東京国立博物館(トーハク)に行ってないなあ、今日はあったかいし、たまには外にでなくちゃ、と思ってでかけた上野は、いつものとおり人が多い。アベック、親子連れ、楽しそうにみんなどこに行くのだろうか。

さすが、人気の松林図屏風

さすが、人気の松林図屏風

美術館や博物館は、お正月には、いつもと違う展示物を出してくれるので、ありがたい。トーハクも毎年、「博物館に初もうで」で楽しませてくれる。今年も長谷川等伯の国宝「松林図屏風」、池大雅の国宝「楼閣山水図屏風」などの大物から、干支の申にまつわる可愛い特集など盛りだ くさん。近ごろ若い女性の間で人気の刀剣も、国宝や重要文化財級のものが並んでいる。撮影禁止のマークがついていない限り、フラッシュをたかなければ展示物の撮影もOKだ。

ところが、北斎の「 冨嶽三十六景・凱風快晴」「神奈川沖波裏凱風快晴」など、「えーっ、これ本物?」と、めったに見られない有名な浮世絵に目がくらみ、シャッターを押したとたん、私のスマホからフラッシュが! 間髪をおかず「お客さまっ!」と鋭い声がかかった。「すみません、間違えました」とひたすら陳謝。

正月早々、大勢の前で叱られたのは恥ずかしかったが、あのタイミングの良さはさすがにトーハク。お叱りも本物だった。