わたしのかわいいネコちゃん

ネコちゃん その子猫にあったのは2回だけだ。一度めは、夜遅くかえってきて、玄関を開けようとしたら、植え込みのなかから足元を何かが走った。キャッと叫んで振り返ったら、あちらも驚いたらしい。私をにらみつけているような目が光った。ほんとにキャットだった。

 ネコが住み着くと面倒だなと思いながら家に入ったが、どうも気になってしかたがない。荷物をおいてそっとドアを開けたら、すでにいなかった。

 それから数日後、近所のTさんのご主人が、私の家と隣の家のあいだの、人ひとりがやっと通れるぐらいの細いすき間を眺めている。「どうしたんですか」ときくと、「いやあ、ネコがね」といった。どうも住み着いているみたいだ、と縁起でもないことをいう。

 私は特にネコが好きでもキライなわけでもない。ただ、野良猫という、人間が勝手に命名したネコたちが、あちらの勝手でうちに住み着くのは勘弁してほしい。困っていると、Tさんがどこからか、長いパーティションのようなものを持ってきて、これでふさいだらと言う。まるでその隙間にあつらえたようにピッタリだ。ご主人に手伝ってもらって隙間をふさいだ。

 それからこの間の子ねこのことが気になって仕方がない。家を出入りするたびに、あたりを見回すこと数日、あの子ねこが、いた。

 私がふさいだパーティションの向うから、私を見つめていた。まるで自分の行く道をふさがれたかように。どうしてここを通ってはいけないのだ、というように。

 私は急いで家にとびこんで、魚の缶詰のふたをあけ、ネコのところに戻った。そしてパーティションのあいだから、缶詰を差し出して、ゴメンね、これで勘弁してと言って、家に入った。

 夜になって戻ってみると、缶詰は手つかずにおいてあった。まるで「施しはいらない」という子ねこの矜持のように。それからその誇り高い子ねこの姿を見ない。

(写真はイメージです)

9月29日(木) 毎年やってくる律儀さよ

秋9月がくると、決まって訪れるそ律儀な客がいる。私はその訪れを、一年間、待っている。 %e5%bd%bc%e5%b2%b8%e5%89%8d%e3%81%ae%e3%83%92%e3%82%ac%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%8a

その名は、ヒガンバナ。

その名にたがわず、秋の彼岸がちかづくころになると、ニョキッと花径が顔を出し、あれあれと思っているうちに、先端に芯の長い朱赤色の花を%e3%83%92%e3%82%ac%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%8a咲かせる。

花の色から曼珠沙華とも呼ばれるこの花は、鱗茎に毒をもつので、ネズミやモグラの害を防ぐために、田のあぜ道に植えられた。嫌いという人もいるが、私はとても好きだ。 

今年は気候が不順だったせいか、なかなか地中から茎を出さず心配したが、彼岸の中日を過ぎて2日目に、やっと花を咲かせた。隣家の白いヒガンバナは、彼岸の入りを待たずに花が咲いたのに。

花が咲き終わるころに、線形のスッキリした茎が伸び、春に枯れる。葉は花を見ることはなく、花dsc05300は葉を見ることがないので、別名「葉見ず花見ず」というそうだ。誰がつけたか、粋な名ではないか。 

ヒガンバナが盛りをすぎるころになると、金木犀のよい香りがただよい出す。私の小さな庭にも、それなりに秋がやってくる。

9月16日(金) 輝く女性たちに乾杯!

9月17日(土)から1016日(日)まで、国立公文書館では、秋の特別展として「時代を超えて輝く女性たち」を開催している(写真1)。開催前日の916日、友の会会員のための内覧会が開かれたので、参加してきた。

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写真1 国立公文書館

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写真2 留学派遣決定書類(重要文化財)

1330分、一人ずつに音声ガイドが手渡され、内覧会開始。公文書館から事前に送られた解説書を読んではいたのだが、実際の文書を見せられると、納得度の度合いが違う。

最初の展示は、史上名高い、津田梅子ら5人の女子留学生の米国派遣が決定した明治四年の文書であり、重要文化財に指定されていた(写真2)。

さらに驚いたのは、大山巌が山川捨松との結婚のために、明治16年に太政大臣三條實美に提出した結婚願で、これも重要文化財であった(写真3)。勅任官の結婚の際には勅許を得ることが必要だったそうだが、結婚願が重要文化財ということに驚いたのである。

展示されたさまざまな公文書には、学校時代に歴史の時間で学んだ人々の名前やら、実際に顔を見たことのある人の名前が散在していて、ただ感心して眺めいるのみ。

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写真3 結婚願(重要文化財)

内覧会に参集した多くの年配の人々も熱心に見入っていた。

私が社会に出たとき、男性と女性との差別は厳然としてあった。女性は男性に従わなければならない不条理を、世間が感じはじめた時代だった。

それに先んじて女性の自立と地位向上に努力した多くの先駆者のおかげで、我々はいま、こうしていられる。今回紹介された女性たちをはじめとする先駆者に敬意を表するとともに、これらの重要な公文書を世に示された国立公文書館に感謝したい。

 

9月4日(日) さあ、森を歩きに行こう

最近、樹をみることにはまってしまった。

もともとは所属しているNPO社叢学会が主催している社叢見守り隊というのに入って、今年の5月から数人の仲間とともに都内の神社の森を見て回っていたのだが、そのうち、境内に立っている木々の種類が気になりだし、あの木は何だろうと知りたくなったのがきっかけだ。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

神社の、いわゆる鎮守の森の現状を見て回り、問題点を探ろうというのが、社叢見守り隊の目的だが、私などは勝手に同行して、境内に生えている樹木をみて、あれは何の木だろう、これはきっと何の木だよ、と騒いでいるにすぎない。

これがけっこう楽しい。樹木に詳しい人が一緒にあるいてくれると、なお楽しい。街路樹を見上げながら歩いていて、自転車にぶつかりそうになったが、それもまた楽しい。

自分でも樹木の種類を調べたくて、知らないうちに書棚に樹木関連の本が増えてきた。このサイトにも、「森を歩こう、樹をみよう」というページを作ってしまった。DSC01213

そのうち、樹をみながら、関東一円を歩く予定だ。年齢、性別を問わず、同好の士を募っている。

さあ、あなたも樹を見ながら、森を歩きませんか!

8月15日(月) 71回目の終戦記念日

 戦後71年目の終戦記念日の今日、例年どおり、朝、靖國神社に参拝に行った。

 英霊として夫の兄が祀られている。子供だった夫は母とともに、出征するその兄を見送ったそうだ。私は会ったこともなく、どんな人なのか聞いたこともない。だが戦後40年ほど経ったとき、夫はどこかからその兄が靖国に祀られていることを聞きつけてきた。それ以後、毎年、私たちは参拝に行き、夫が他界してからは私ひ警備とりで参拝を続けている。

  飯田橋駅から歩いていくと、まだ朝8時にもならないのに、大鳥居の前は、参拝に来た人々をさえぎるかのように、警備にあたる人たちとマスコミの人たちでごった返していた。胸にSPのバッチをつけた人たちが、目を光らせている。街宣車が通りを走る。毎年おなじみの光景だ。

半旗

神門も半旗を掲げて

 手水をつかって神門をくぐる。ご神前はすでに何重もの人の列だ。今日の暑さはさいわい、どうにかしのげる程度だ。順番を待って拝礼した。

 目と鼻のさきにある日本武道館では、まもなく政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われる。そこから堀ひとつ隔てた千鳥ケ淵戦没者墓苑には、第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち遺族に引き渡すことができなかった遺骨が安置されているが、そこでも慰霊祭が開かれる。みなそれぞれに戦没者の霊を慰め平和を祈る。いいではないか、それで。

 境内を寅さん歩いていると人だかりがして、寅さん、寅さんという声がする。確かにうしろ姿はあの葛飾柴又の車寅次郎だ。写真を撮って、と駆け寄る人々。ああ、平和だなあ、日本は。 

 寅さんも 参拝にくる 九段坂

7月31日(日) 私の出口調査によると…

今日は舛添要一知事の辞職に伴う東京都知事選の投票日である。投票の結果はすぐに開票され、新しい知事の名が発表される。ニュースでは、これから何回も、花束を抱えた当選者を囲んでのバンザイが繰り返されるのだろう。見飽きた光景だ。

投票所都知事の任期途中の辞職は、前回も今回もカネをめぐる問題が原因だ。どなたかのおかげで「セコイ」という日本語が「スシ」や「ツナミ」と同様に外国人のあいだに広まったそうな。「セコイ」なんて、日本のサムライがもっとも嫌う言葉ではないか。

都選管によれば、今回の知事選は50億円ほどかかるとのこと。まったく腹立たしいことこのうえない。任期途中で辞職した知事には、理由しだいで、この金額の一部を負担させたらどうか。これほど多額の税金を使って選んだ人が、また同じような問題を繰り返さないと、だれが保証してくれるのか。

そんなことをイライラと考えながら、それでも、選挙権の行使は日本人の義務と教えられた世代の私は、投票所への道を急いだ。先日の「初の18歳選挙」と騒がれたあの参院選の投票所と同じところだ。

投票を済ませて外に出た。投票所の近くの川は、今日の青空を映しこんで、群青色におだやかに流れている。土手にのぼって投票所をしばらく見おろしていた。

わが地区もご多聞にもれず、住民の平均年齢はかなり高いのだが、今ヒマワリ、私が土手からの「上から目線」で見ると、けっこう若い人も集まってくるではないか。先日の参院選よりは、投票に来る人の数も多いような気がする。さすがに騒がれただけのことはあるようだ。読売新聞社の調べでは参院選全体の投票率は54.70%だったそうだ。今日の私の出口調査によれば、それよりもっと上かな。

川岸にはヒマワリの花が咲き乱れていた。願わくば、新しく選ばれた知事さんも、このヒマワリのように、いつも太陽にむかって高くまっすぐに顔をあげて進んでほしい。

7月23日(土)上野公園 に異変あり

20160723_after22016年7月17日、国立西洋美術館が「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の7か国17点の作品のひとつとして、世界文化遺産に登録されることが決定した。

関係者が躍り上がって喜ぶ瞬間は、テレビニュースで何度も見て知っていたのに、昨日、上野公園内の国立西洋美術館の前をとおったら、入館しようとする人たちの列でびっくり。

国立西洋美術館の Before

国立西洋美術館の Before

かなり以前から公園内には「国立西洋美術館を世界遺産に!」という旗が立っていて、私なぞ、なんでこの建物が?と疑問に思っていた。ところがそれが世界的に著名な設計家ル・コルビュジエ(舌を噛みそうな名の)氏の手によるもので、今回一括して世界遺産に登録された17点のひとつとのこと。ご覧のように旗も変わった。おめでとうございます。これで入館者も増えるでしょうね。私もうれしいです。でも1階の私の好きなレストラン「すいれん」が混むようになるといやだなあ。

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国立西洋美術館の After

用事を済ませて上野駅にむかっていると、現在リニューアル中の奏楽堂あたりから、今度は若い人たちが右往左往しているのに行きあった。いつもは静かな道なのに、いったいどうしたの、と思うまもなく、ああ、そうだ、これはポケモンの影響だ!と思いあたった。22日にあのポケモンGOがいよいよ日本でのサービスを開始したんだ!

アメリカはじめ諸外国での圧倒的な人気にあおられて、アプリをダウンロードした若者たち。その人たちが、モンスターをゲットしようとスマホを手にして待ち構えているのだ。その間にもしだいに若者の数が増えてくる。なんなの、これ。

日本人は、自分で考えてひとりで動くことが苦手なのか。ル・コルビュジエといいポケモンGOといい、だれか(特に外国人)がいいといえば、そちらに靡いてしまうのか。ぞろぞろと上野駅に向かって動いていく人の群れのなかで、7月31日にせまった都知事選が、付和雷同にならないように切にのぞんだ。

2016年7月15日(金)みたま祭りに思う

靖国神社のみたま祭りは、東京の夏の風物詩ともいえる20160715_社頭で奉納されるかっぽれ。長い参道の両側に高くかかげられた三万を超える提灯(みあかし)には、夕方になると灯がともされ、さらに美しく夕闇を照らす。提灯には、奉納した人によって、それぞれに名前が書き入れられており、見上げる人々の胸をうつ。

その他に、各界の名士といわれる人たちが揮毫した数多くの懸雪洞が掲げられて、境内は光につつまれる。そして、写真のかっぽれのような各種の芸能など、多くの奉納行事がひっきりなしに行われ、都内で一番早い盆踊りも催される。

この祭りには、参道を埋め尽くす200を越える露店が出ることも知られていた。そのため昨年、露店の出店が中止になるというニュースが流れたときは、一般の参拝客は、私も含めて、驚いたものだ。だが、中止になる状況はうすうす分かる。奉納する団体や有名人の参拝が多くなるにつれ、参拝という本来の目的とは離れてイベントを見にくるだけの大勢の人々、身動きもとれないほどの境内の混雑、それに伴う治安の悪化…。ナンパ祭りとまで揶揄されていたそうな。

20160715_172024浴衣姿の若い男女や露店商の方がたにとっては、みたま祭りは、まさに「祭り」なのだろう。楽しんでほしいのはやまやまだし、それを止めようとは思わない。だが、みたまの名前を入れたみあかし(提灯)を奉納しているものにとっては、「みたま」祭りなのだ。いままでは、露店のスペースや行き交う通行人に押されおされて、奉納したみあかしを探すこともままならなかったが、今年は静かに見上げることができた。靖国神社の英断を喜ぶ。

2016年6月28日(火) 花、静かに散る

「エリゲーナさ~ん」 私が手をあげて呼ぶと、その人は大勢のなかからめざとく私をみつけて、大きく手を振った。極寒の一月、モスクワの街に春風が吹いたような、あたたかい優しい笑顔だった。

あの人にもう会えない。ロシアの指導的な日本学者だったエリゲーナ・モロジャコワ教授が、今月、モスクワで逝去された。モスクワ国立大学を卒業された歴史学者。ロシア科学アカデミー東洋学研究所副所長・日本研究センター長。日本に関するロシア語、日本語の著作・論文は数えきれない。

東京で、ロシアで、夫と私は彼女と幾度となく会い、話しあい、相談しあい、笑いあい、助け合った。夫が理事長をラヂオ局にて、私が事務局長をつとめた国連NGOのモスクワ代表部所長を引き受けてくれ、任期期間にロシア語で数冊の神道の本を書きあげ出版、講演もしてくれた。モスクワのラジオ局で一緒にインタビューも受けた(写真)。卓越した学者であるとともに、素晴らしい女性だった。

夫が亡くなった後に設立した「梅田善美日本文化研究基金」。そのなかで私は、ロシアの若手日本学者育成のために、毎年一人に研究成果をロシアで出版する資金を提供することにした。エリゲーナさんはその案に大賛成され、受賞者選定の労をとってくれた。そして、今では優れた日本研究者であり日本の大学で教授として教鞭をとられる息子さんが、編集から出版まですべてを取り仕切ってくれる。そのシリーズも、今年で3冊目になる。DSC00378-2

エリゲーナさん、天国で私の夫と会えましたか。今ごろはきっと、二人でワインでも飲みながら、次の出版物の相談でもしているのでしょうね。

2016年6月20日(月)これからの時間をどう過ごそう?

定職を失ったとき、これから有り余るであろう時間をどう消化しようかと頭をひねったものだが、よくしたもので、人から頼まれたり、自分で興味があることなどを少しずつ始めていったら、今では時間が足りなくなるほどになった。公文書館

とはいえ、これというほどのこともしていない。ボランティアで日本語を教えたり、NPOの事務を手伝ったり。好きなところも増えた。小石川の植物園で樹木を眺めるのも好きだし、上野地域に立ち並ぶ博物館・美術館を巡るときは、これぞ東京にいる醍醐味と思うときがある。皇居もよく一周する。はまっている、というほどではないが、皇居に近い国立公文書館も気に入っている。昨夏は「戦後七十年の原点」と銘打ち、「宣戦の詔勅」、鈴木貫太郎内閣の成立から「終戦の詔書」などの原本が展示され、初めて見て感激した。このことは、以前このブログにも書いた。

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熱心にのぞき込む

今年の憲法記念日には、日本国憲法の原本が展示された。同時に「徳川家康展」も開催され、最近の歴史ブームのせいか見学者が多く、ずらっと並んだ家康関係の古文書を熱心に覗き込んでいた。古文書というと、文字通り古い文書だから、くずし字で書かれていてとても読めないと言う人が多いが、実際には明治に入ってもけっこう使われていた文字だし、江戸時代には子どもでも読めたのだ。それを、教えてもらっていないからと言って最初から敬遠するのは、ちょっと悔しい。

というわけで、私も昨年の春から古文書に取り組み始めた。一年近くたって読めるようになったかって? とんでもない、読めない。「家康展」に並んでいた文書も、自慢じゃないが、ほとんど読めない。こんなときには、よし、がんばって読めるようになるぞ、とひそかに誓うのだが、館を一歩外に出るときれいに忘れてしまうのは、きっと年のせいだろう。