増上寺徳川霊廟特別参拝 《平成26年9月20日(土)》

曇りがちの土曜日、男性一人を含む結の会の7名は、増上寺の三解脱門に集合。この山門は、正月恒例の箱根駅伝で、都内を疾駆する選手たちの背後に必ずテレビにうつる東京の名所である。増上寺は、浄土宗の七大本山の一つで、正式呼称は、三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)。ご本尊は阿弥陀如来。徳川家康の帰依をうけて、徳川家の菩提寺となった。

御本堂の阿弥陀如来にご挨拶したあと、さっそく、特別参観実施中の徳川家の霊廟に向かった。

徳川十五代の将軍は、4カ所にわかれて葬られている。日光東照宮=初代家康(75歳没)・三代家光(48歳没)。芝増上寺《江戸城の裏鬼門を守る菩提寺》=二代秀忠(54歳没)・六代家宣(51歳没)・ 七代家継(8歳没)・ 九代家重(51歳没)・ 十二代家慶(61歳没)・ 十四代家茂(21歳没)の6人。 上野寛永寺《江戸城の鬼門を守る菩提寺》=四代家綱(40歳没)・五代綱吉(64歳没)・ 八代吉宗(68歳没)・十代家治(50歳没)・ 十一代家斉(69歳没)・ 十三代家定(35歳没)の6人。谷中霊園=十五代慶喜(77歳没)。

ここ増上寺には、上記の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、静観院(皇女和宮、十四代家茂公夫人)ら五人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。

ボランティアガイドの方の丁寧な説明によれば、増上寺の広い境内に壮麗に立ち並んでいた徳川家の霊廟は、昭和20年に2度の大空襲をうけて焼失。しばらくのあいだ荒廃にまかされていたが、昭和三十三年(1958年)から文化財保護委員会が中心となり、詳細なる学術調査が行なわれ、そののち、土葬されていた将軍たちのご遺体は桐ヶ谷にて荼毘に付され、現在地に改葬されたとのこと。

参拝のあと私たちは、消失を免れたものの今は増上寺境内ではなくなった重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」(二代将軍秀忠廟所の惣門)、家康を祀る芝東照宮、第七代将軍家継の有章院霊廟「二天門」、将軍が増上寺を参詣する際に用いられた「御成門」などを見学して解散した。

2015年7月3日