2015年12月25日(金)東京の下町に戦禍のあとをみる

慰霊堂内

  慰霊堂内

戦後70年の今年もあと数日で終わろうとしている。その締めくくりというわけではないが、隅田川近くの横網町公園に行った。ここには大正11年9月1日に発生した「関東大震災」の殉難者を供養する慰霊堂が建てられているが、そこに昭和20年3月10日の「東京大空襲」で犠牲となられた方々もあわせて慰霊されている。現在は「東京都慰霊堂」として、約163,3000体の遺骨が安置されているという。

この地は当時、陸軍被服廠が移転して空き地になっていたため、周辺の人々が大挙して避難してきた。そのとき持ち込まれた家財道具に飛火した火が、折からの強風にあおられ、多数の焼死者が出た。また、その混乱の際の心無い流言のために、大勢の朝鮮の方がたが犠牲になったことはよく知られており、園内には朝鮮人犠牲者追悼碑が建立されている。

先の大戦ではアメリカ軍から、東京だけでも100回以上の空襲を受けた。「東京大空襲」と呼ばれる昭和20年3月10日は特にひどく、下町を中心に約100万人が罹災したという。この甚大な被害の犠牲者の大方は老人、女性、子どもなどの非戦闘員であった。終戦のおよそ五か月前に起こったこの無差別爆撃の悲劇を、今も記憶している人は多いだろう。

静かな慰霊堂には花が供えられ、お香がたかれていた。手を合わせ黙祷する。外にでると、雲もなく青く澄んだ冬の空に東京スカイツリーがそびえ、公園には鳩が飛び交い、人々はベンチでお弁当を食べていた。なんと平和な眺めだろう。いつまでも続いてほしい光景だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です