暑さにめげず富士塚めぐり《平成27年8月2日(日)》

富士塚

富士塚

結の会では8月2日、神道研究会「葦の会」と合同で、「東京の富士塚めぐり」を実施した。気温35度に迫る猛暑の中、両会から9人が参加し、都内だけでも約80あると言われる富士塚のうち、4カ所を踏査。長らく富士塚の研究をしてきた河辺修造さん(結の会会員)を先達に、民衆による組織「富士講」が育んだ富士信仰の象徴的な遺産を、汗まみれになりながらも、しっかり見てきた。以下はTS氏によるレポート。

このたび巡った富士塚は、音羽富士(護国寺、文京区大塚)、高松富士(富士浅間神社、豊島区高松)、新宿富士(花園神社内の芸能浅間神社、新宿区新宿)、千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社、渋谷区千駄ヶ谷)で、うち音羽、高松、千駄ヶ谷の各富士塚は「江戸七富士」に数えられています。
富士講による富士信仰は、江戸初期に富士山の人穴で修行した角行という験者によって始められ、その流れをひく同中期の食行身禄によって大きく発展。ほどなく江戸の町で爆発的に広まっていった庶民信仰です。
古くからあった神道系の富士浅間信仰を取り入れながらも、より素朴に霊峰・富士を拝し、その霊験による利益を期待しました。定期的な神事のほか、代参も含めた富士詣が行なわれました。

音羽富士

音羽富士

しかしその時代、一般民衆にとって、本格的な富士登拝はそう容易にできるものではありませんでした。そこで、誰でも登れるよう、市中の身近なところに築造されたのが、「ミニ富士」つまり富士塚です。

さて、当日午後、一行は護国寺の仁王門に集合し、まず音羽富士を見学しました。合目石のほか多くの石碑が建ち、富士の人穴を思わせるお胎内などもある本格的な富士塚です。多くの富士塚が神社にあるのに対して、ここは寺院の境内に存在するという点で珍しい富士塚でもあります。高さ6メートルですが、一行からは早くも「やっぱり登山は暑い、しんどい」と、悲鳴ともジョークともとれる声がでるほどの極暑になっていました。

高松富士

高松富士

続いて地下鉄で、高松富士に移動。ここは築造当初の姿をよく残しており、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。高さは約8メートル。山の表面は、実際に富士から運ばれた溶岩で覆われ、やはり石仏や石像が立ち並んでいます。この一帯は富士講の活動が活発だった地域の一つで、奉献された数多くの講碑も見られます。「大先達」「三十三回」などと刻まれた石碑を前に、「本当の富士山への登拝を33回、成し遂げた人を、講では大先達と認めた」などと河辺さんが解説を加えます。現在では、ここ富士浅間神社は、近くの長崎神社の末社になっています。国重文ということで管理も厳しいのか、富士塚の周囲は柵が巡らされ、中に入ることはできませんでした。

さらに地下鉄で新宿に移動し、「新宿総鎮守」として名高い花園神社へ。同社境内の一角に芸能浅間神社、新宿富士があります。その名のとおり芸能人の奉納が多く、歌手・藤圭子の

新宿富士

新宿富士

「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑も垣内に建っています。高さ約1.5メートルと、こじんまりとしたもので、富士塚とは気づかない人も多いようです。「昔はもっと高く大きかったというから、ここも別の場所から移動したんでしょう」と河辺さん。

そして最後は千駄ヶ谷の鳩森八幡神社に向かい、千駄ヶ谷富士への登拝です。塚が遷された例の多いなか、ここは都内に現存する、移築が行われていない最古の富士塚と言われており、都の有形民俗文化財に指定されています。高さ10メートルほどもある本格的な山で、落下防止のロープを張った登山道が巡り、七合目には身禄像を安置した洞窟があります。そして山頂には奥宮が鎮まっています。

千駄ヶ谷富士

千駄ヶ谷富士

登拝可能な富士塚もたくさんありますが、たくさんの人が足を踏み入れれば、当然、岩石や溶岩が崩れる可能性も高まるわけで、なかなか登らせてもらえない所も多いようです。千駄ヶ谷富士を下りた一行は、「たしかに保存も大事なのだけれど、登らなければ意味がないという声もあるし……。難しいところ」と漏らす河辺さんの言葉に耳を傾けながら、文化財保護と信仰のあり方との、共存の難しさを改めて認識しつつ、吹き出る汗を拭ったのでした。         (T.S)

2015年10月19日