2016年3月11日(金)『つなみのえほん』

つなみのえほん

今年もまた3月11日がやってきた。日本じゅう、いや世界中を震撼させた大地震とそのあとの大津波。そのことは改めてここに記す必要もなく、人々の記憶に鮮明に残っている。

あの日、東京の事務所で私たちがテレビで見たものは津波が人々を襲う言いようもない恐ろしい光景だった。その数か月後、私たちはかの地を訪れた。災害の爪痕に言葉もない私たちを、現地の人々は優しい笑顔で迎えてくれた。

その時に知り合った人のひとりが、この本を送ってきてくれた。『つなみのえほん』。宮城県南三陸町のくどうまゆみさんがむすこのゆうすけくんに書いたじっさいに経験したつなみのはなし。

神社であるまゆみさんの家はさいわいにも地震では無事だった。でもそのあとに襲ってきた巨大な波また波。「ここは高いからだいじょうぶ」というおばあちゃんをひきはがすように連れて、高台に逃げたまゆみさん一家。すぐそばを、家が自動車が電信柱が、滝のように海へ流れてゆく。

「やめて やめて 津波に叫びながら にげる」

「にげて にげて もっと高いところ もっともっと高いところ」

まゆみさんは、このときの経験を決して風化させないために、この本を書いた。私がこの本の表紙をブログに載せる許可を得ようと電話した際、出版社は「お願いします、一人でも多くの人の目に触れるように」と言った。

大地震とそれに続く大津波は、日本に住む私たちにとって遠い未来の話では決してない。その時私たちは、「てんでんこに(一人一人がそれぞれに)」逃げていかなくてはならないのだ。

『つなみのえほん』 ぶん・え くどうまゆみ /㈱市井社/03-3267-7601/1200円+税

2016年2月28日(日) 旧中川堤を歩く

春を思わせる2月末のうららかな日曜日、友人の家を訪ねた後、サクラが咲いていると聞いて、近くの旧中川の川辺を散策した。サクラと言えばソメイヨシノが多いが、最近は河津サクラが人気だ。1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜である。花は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも桃色が濃く、花期も長い。
旧中川堤の桜この日もすでに八分咲きの河津サクラを求めて、近くの住民が三々五々集まり、写真をとる人、お弁当を広げる人、子どもを遊ばせる人などでにぎやかだった。遠くには東京スカイツリーも見える。
旧中川は、東京都江戸川区と墨田区、江東区の境界を流れる全長6.68kmの河川。地元では、3月10日の東京大空襲の犠牲者の慰霊のために、毎年8月15日に「旧中川灯籠流し」が行われていることで有名だ。
かわせみの島川に沿って歩いていくと、中洲に葦の茂る叢があり、その中になにやら小さなコンクリートの建造物が見え隠れしている。水辺に立つ説明版には、「カワセミが生息する川づくり」とある。この葦の中洲にあるコンクリートはカワセミの巣作りのためのもののようだ。いつの日か、カワセミがJRの線路の上を飛ぶ光景が見られるのだろうか。東京都江東治水事務局の健闘を祈りたい。

2016年2月26日(金)しばしの別れ

今年3月からMOA美術館がリニューアルのため一年間、休館になると友人から聞かされた。そのためその前に「大名品展」と称して、同美術館が所蔵する名品の数々を厳選して見せてくれるという。なんというラッキー、なんという幸せ!! 2月某日、熱海にあるMOA美術館に向かった。急な坂道をバスが登りきると、その先にあるのが、あこがれの美の殿堂だ。ここには今までに何回も夫と通った。創立者・岡田茂吉が蒐集した美術品のコレクションは、3点の国宝、65点の重要文化財を含め、約3500点にのぼるという。さぞかし混雑しているだろうと覚悟していったおもわくは嬉しくもはずれ、名品の前には、チラホラと人の影が見えるだけ。 紅白梅図屏風所蔵品のなかでも、野々村仁清作「国宝 色絵藤花文茶壺」と、尾形光琳が描いた「国宝 紅白梅図屏風」(写真は美術館のパンフレットから借用)は、知らない人はいないというほどの名品だ。これでしばらくの見納めと思うと、名残惜しくて離れられない。ぐずぐずと右へ寄ったり左から見たり。

 もう一つの国宝は「手鑑 翰墨城」で、パンフレットによれば、奈良時代から南北朝・室町時代の各時代にわたる古筆切が、表側154葉、裏側157葉の合計311葉が押されているという。書の好きな人には垂涎ものだ。以前に京都国立博物館の「藻塩草」と出光美術館の「見ぬ世の友」も見たので、これで古筆三大手鑑をクリアしたことになる。目の効かない私には、ただ「見た」というだけだが。このほかにも「樵夫蒔絵硯箱」など、滅多にみられない名品ばかりで、終わるとぐったりと疲れてしまった。梅がチラホラと咲く初春の一日、美に酔いしれたひとときだった。