神の山、ゆりの山

~自分の重さをォ~感じながら坂道をォ~のぼるゥ~
 テレビ「日本百名山」のテーマ曲。だが私は今、それを声に出して歌っているわけではない。山道を登っている自分の体の重さをもてあましつつ、心の中で繰り返しているのだ。
 三輪山の高さは467メートルにすぎず、決して高い山ではない。だが秀麗なこの山は、大物主を祀る、奈良の古社・大神神社の神体山。ただの山ではない。近代以前は禁足地だった。しかも最近は、「超」がつくパワースポットとして知られている。
 登拝する人々は、狭井神社でお祓いをうけて、タスキをかけ、頭をさげて鳥居をくぐって進む。山中では私語はつつしむように、写真も撮らないようにと注意をうけて登るのだ。
 あとは樹々の間をひたすらに上っていくだけだ。丸太の階段、自然石の石段…。歩きだしは先頭だったのに、どんどん追い越されていく。いやあ、つらい。途中の苦しさについては略す。

 息も絶え絶えになって、やっと頂上の高宮神社に着いた。お参りして百メートルほど歩くと、鎮まる奥津磐座が姿を現した。大物主の大神様、とうとう着きました!
 先に着いた大勢のなかに、知り合いの顔があったので、「5年前に登らせてもらったときは、こんなに息がきれなかったのに」と嘆くと、「いやあ、齢(よわい)ですなあ」とのたまう。年と言われたら、返す言葉もない。
 奇しくも今日は、大神神社の摂社である率川神社の三枝祭、有名なゆりまつりだ。そういえば今日も路傍には笹ゆりがチラホラ咲いていたっけ。
 つらかったけど楽しかった。神様、ありがとうございました。

ある思い出

 最近、鉄道が高架ばかりになって、踏切というものを見ない。だから数日前、都内で久しぶりで踏切を見かけて、ふと、忘れていた遠い昔のことを思い出した。

 幼いころの私の家は電車の線路の近くにあった。学校からの通り道には無人の踏切があり、そこを渡ることは両親からかたく止められていた。

 小学校に入ったばかりのある夕方、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんが走っていくので、私もわけもわからず追いかけていった。たちどまった子どもたちが息をころして見つめていたのは、あの踏切だった。そこには無造作にムシロが広げてあり、そのムシロからは足が見えていた。「女だな」と、人だかりのなかの男の人がポツンといった。

 それからしばらくは、その踏切を避けて学校に通っていたが、しだいに恐怖心もうすれて一人でも近くを通れるようになったある日のこと、踏切を電車が走り去り、遮断機があがるとそこ若い女の人が立っていた。

 夕食のとき、踏切に女の人が立っていたよ、と私が言うと父が、「そりゃ、あの女のユーレイだな」と言った。私は恐しさのあまり泣き出し、それから数日は夢でうなされたそうだ。父が母にこっぴどく叱られたことは言うまでもない。

本日の収穫

 昨年から毎月一度、友人たちと連れ立って、あちこちの神社の鎮守の杜を歩いている。グループにはいちおう「鎮守の杜見守り隊」というけっこうな名前がついているのだが、ほんとに見守っているのは数人で、あとの大多数は、フィトンチッドをあびつつ、勝手なおしゃべりをしながら歩いているだけなのだが、それがとても楽しい。
 先日のさつき晴れの日に、9人で世田谷区の神社を6社、見守ってきた。
 アジサイが咲き始めた緑道を気持ちよく歩いていると、庭の木々に手を入れているご夫婦にであった。
 「〇〇神社はあそこですか」と聞くと、そうだという。「あそこの神社は縁起がよくて、宝くじなんかよく当たるんだよ」とも。
 お二人の足元には、切ったばかりのビワの木。小さいけれど実がたわわについている。
 「わあ、ビワ、すごいですね!」「持っていくかい」「え、いいんですかあ」
 遠慮するフリをしながら、うれしくお言葉に甘えた。縁起のよい神社で、宝くじならぬ、気前のよいご夫婦に当たった。
 ビワを抱えてルンルンで帰宅すると、隣のご主人が庭のモッコクの剪定をしていた。
「枝を少しいただいていいですか」「好きなだけどうぞ」お礼にビワのひと枝をさしあげた。
 どうですか、この日の収穫。モッコクとビワに囲まれて幸せな私。きっと日ごろの行いがいいんですね。