これはうちの木です!

 大寒の今日は、東京でも小雪がちらつき、ほんとに寒かった。友人の家で用事を済ませ、そそくさと帰るつもりが、途中の公園でひっかかってしまった。人間には大寒でも、公園内の植物たちは春の準備で、すでに新芽を出していたり、ヒイラギナンテンなどは花を咲かせている。

 ゴッホの絵みたいなカイヅカイブキの並木など見ながら歩いていたら、シラカシの木を伐採している職人さんたちがいた。切ったばかりの枝はまだ瑞々しい。もらってもいいですかと尋ねると、いいよ、すきなだけ持って行きな、との返事。枝ぶりのいいのを2、3本紙袋にいれて、ありがとう、と振り返ったら、もう職人さんたちの姿は消えていた。

 口笛を吹きたくなるくらいの気持ちで路地を歩いていたら、可愛い小さな花が咲いている植木を見つけた。葉も緑だけでなく、赤いのや黄色のも交じってとてもきれいだ。なんの木だろう。思わず手を伸ばして葉っぱに触った。

「ちょっと、その木、切るつもり」振り向くと、玄関で年配の女性が、こちらをにらんで立っている。
「あ、あの、きれいだから写真撮らしてもらおうかと思って」
その老婦人(まあ言ってみればおばあさん)は黙って、私の紙袋を指さした。さっき公園でもらった木の枝がこぼれるほどたくさん入っている。
「ああ、これは公園で切っていたのをもらったんです」私のしどろもどろの言い訳。
「この木はうちの木なんだからね」おばあさんは、まるで孫を守るように、植木をかばって仁王立ち。
「すみません」私はあやまる必要もないのに、おばあさんの権幕に慌てて退散した。
 よその木を勝手に切っていく怪しげな女にみえたのだろう。そういえば、庭もきれいに整えられていた。きっと大事に手入れしているんだな。葉に触ったのがまずかった。おばあさん、心配させちゃってごめんなさい。春を目前にした下町ならではのできごとである。

拾う神もいますように

 正月には初詣。そんな子どものころからの強迫観念に背中を押されて、家を出た。

 まずは地元の神社にごあいさつ、と思ったら、なんという人の波!こんなに氏子が多いのなら、お祭りの時なんかもっと協力してくれてよさそうなものなのに、と思わずグチもでてしまう。しょうがないから脇のほうからご神前に、また来ますのでと頭をさげ、電車に乗って御茶ノ水駅に向かった。今年は思うことがあり、力のありそうな(と勝手に信じている)神田神社に行きたかったのだ。

 だが、ここも道いっぱいに参拝者の長い長い行列。警官まで出て整理している。神様、あなたにすがりたい人がこんなに多いのですよ。でもどうしよう、私もすがりたいのに、ご神前に近づくことなんかできやない。

 なに、表があれば裏もあるさ。神社をグルッと回って裏参道に行ってみると、やったね!あまり知られていない裏参道には並ぶ人もいない。正月名物の猿まわしを見る人もさっぱり。喜んだのも束の間、境内は参拝者であふれていて、ご神前などはるか遠くに見えるだけ。すみません神様、出直します。

 近くの湯島天満宮など、鳥居までも近づけない。仕方ないから通りにでると、大勢の老若男女がぞろぞろと歩いていく。コンサートか何かあるのだろうか、興味半分でついていくと、ガードマンが「湯島天神参拝者最後列」的なプラカードを持って立っていた。なんと、天満宮に参拝したい人がここまで並んでいたのだった。もうすぐ試験のシーズンだもの、神様、あなたも大変ですね。

 でも肝心な自分のことをまだ頼んでいない。妻恋神社は参拝者はすくないけれど、色っぽいこと頼むわけじゃなし、そうだ、湯島聖堂に行こう。あそこは孔子様を祀っている。国籍は違えど学問の神様だし…。

 湯島の聖堂は思ったとおり、参拝者も少なかった。これならきっと神様も私のこと覚えてくれて、頼みも少しは聴いてくれるかも。それにしても初詣でのハシゴは疲れる…