わたしのかわいいネコちゃん

ネコちゃん その子猫にあったのは2回だけだ。一度めは、夜遅くかえってきて、玄関を開けようとしたら、植え込みのなかから足元を何かが走った。キャッと叫んで振り返ったら、あちらも驚いたらしい。私をにらみつけているような目が光った。ほんとにキャットだった。

 ネコが住み着くと面倒だなと思いながら家に入ったが、どうも気になってしかたがない。荷物をおいてそっとドアを開けたら、すでにいなかった。

 それから数日後、近所のTさんのご主人が、私の家と隣の家のあいだの、人ひとりがやっと通れるぐらいの細いすき間を眺めている。「どうしたんですか」ときくと、「いやあ、ネコがね」といった。どうも住み着いているみたいだ、と縁起でもないことをいう。

 私は特にネコが好きでもキライなわけでもない。ただ、野良猫という、人間が勝手に命名したネコたちが、あちらの勝手でうちに住み着くのは勘弁してほしい。困っていると、Tさんがどこからか、長いパーティションのようなものを持ってきて、これでふさいだらと言う。まるでその隙間にあつらえたようにピッタリだ。ご主人に手伝ってもらって隙間をふさいだ。

 それからこの間の子ねこのことが気になって仕方がない。家を出入りするたびに、あたりを見回すこと数日、あの子ねこが、いた。

 私がふさいだパーティションの向うから、私を見つめていた。まるで自分の行く道をふさがれたかように。どうしてここを通ってはいけないのだ、というように。

 私は急いで家にとびこんで、魚の缶詰のふたをあけ、ネコのところに戻った。そしてパーティションのあいだから、缶詰を差し出して、ゴメンね、これで勘弁してと言って、家に入った。

 夜になって戻ってみると、缶詰は手つかずにおいてあった。まるで「施しはいらない」という子ねこの矜持のように。それからその誇り高い子ねこの姿を見ない。

(写真はイメージです)