2015年10月30日(土)魔女のひとりごと

今夜から明日にかけて、渋谷や新宿などの繁華街は、魔女やお化けのオンパレード。コスプレした若者が大挙して街へ繰り出すこの光景は、数年前からチラホラ見られていたが、今やほとんど日本に定着したようだ。クリスマス、母の日、バレンタインデーなど外国生まれの行事が、今では大手を振って日本じゅうをカッポしているように、ハロウィーンもきっとそうなるのだろう。

ハロウィンもともとハロウィーンは、毎年10月31日に行われる悪霊などを追い出す宗教的な意味合いの行事だったが、現代のアメリカでは民間行事として定着した。カボチャをくりぬいた「ジャック・オー・ランタン」を窓に飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して、近くの家々を”Trick or Treat” (お菓子くれなきゃイタズラするぞ)と言いながらお菓子をもらって歩いたりするかわいい風習があるのだが、日本ではデパートのハロウィーン用コスチュームがバカ売れし、若い男女がこの日のために4時間かけてお化けのメークをする祭りに変わった。

何を隠そう、若いときにこんなことが流行していたら、私も喜んでその波にもまれていたに違いない。仮装するならやっぱり魔女だな。あの黒い三角帽子がいいじゃないの。それなのに今の私は、若者が渋谷の交差点などで騒いでいると、バカ騒ぎの自己満足だけに見え、うるさい、あぶない、早く帰って寝ろ!などとブツブツと文句を言っている。ああ、私はすっかり年をとってしまった……。

 

2015年10月26日(月)十三里はクリよりうまい?

川越のシンボル 時の鐘

川越のシンボル 時の鐘

高校時代からン十年の付き合いを重ねる美女3人、埼玉の小江戸とよばれる川越に散策にでかけた。雲ひとつない秋空のもと、喜多院、蔵のまち、時の鐘、菓子屋横丁など、観光ルートを上機嫌でめぐってきた。
昼食は、蔵のまちで見つけた小じゃれた和風レストランでの「さつまいもミニ懐石」。なにしろ川越は名にし負うサツマイモの産地だ。コースは「さつまいもカクテル」から始まって「いもコロッケ」「いもグラタン」「いもの白和え」「おさつ餅の揚げ出し」……最後に「サツマイモおこわ」と「おさつ汁」とイモ尽くし。これではいかにサツマイモ好きの女性でも、満足しないわけにはいかない。
ところで10月13日は「サツマイモの日」なのだそうだ。なぜ13日なのか、ご存知ない方のためにちょっとひと言。誰が作ったか知らないが「十三里」とは、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(九里+四里=十三里)」から来た、その美味しさを称えたサツマイモの異名だそうだ。また、サツマイモ名産地の川越が、江戸から「十三里」(約52㎞)のところにあることから生まれたという説、もっと美味しいからと「十三里半」という説まである。サツマイモが旬となる10月の13日を「サツマイモの日」として制定したのは、川越市の市民グループとのことだが、真偽のほどは詳らかでない。天高く馬もサツマイモで肥える秋とかや……。

2015年10月4日(日) 大野城跡での大冒険

念願だった福岡県の大野城址をたずねた。大野城は、いわゆる「城」ではない。7世紀初頭、朝鮮半島からの侵攻に備えて、四王寺山の上に築かれた全長約8kmに及ぶ広大な古代の要塞で、実際には朝鮮半島からの攻撃はなく、そのまま放置されてしまった。現在は、国の特別史跡に指定されている。なかば崩れた土塁と石垣で囲まれた城内には、今も建物跡や城門、水場などを見ることができる。
福岡市内からタクシーで、四王寺山の大野城観光センターまで行き、そこから地図を片手に歩きだした。人影がないが、城歩きは一人がよい。山上の石垣や土塁、建物跡などで楽しい時間を過ごした。よい天気で、山の上から大宰府の町や玄界灘がよく見えた。
夕暮れが近づき、観光センターの人に4時には必ず山を下ってください、街燈がないから真っ暗になりますからね、と言われたのを思い出し、急いで帰りの道を探した。「九州自然歩道」という立札を見つけ、これにしたがって歩いていけは町に着くだろうと、山道を下り始めた。だが、道はしだいに狭く、しかも急になっていく。
道を間違えたのだろうか、でもいまさら引き返せない。なかば滑り落ちるように下っていった。本当に明かりは一つもなく、ヘビの姿におびえながら、暗くなるいっぽうの山道をさらに下ると、やっと小さな古寺に着いた。
そこから携帯電話でタクシー会社に連絡した。10分ほど待つと、山道を上ってくるタクシーのヘッドライトが見えた。これで私の5時間におよぶ大野城での徘徊は終わるのだ。その時の安堵感は言葉にならない。

2015年9月29日(火) スーパームーンの女

近くの川岸に古びた家がある。外壁にツタのからまった、ちょっと謎めいた家だ。空き家と思っていたが、先日、窓がすこし開いてカーテンが揺れていた。だれか引っ越してきたらしい。
9月27日の中秋の名月の夜、いつものように散歩していると、私の前を一人の老婦人が歩いていた。私が追い越そうとすると、「すみません、この先はどこに行くのですか」と聞かれた。私が「どこかお探しですか」と聞くと「いいえ、別に。お引き止めして失礼しました」と答えた。年はとっているが、きれいな女性だった。若いときはさぞ男性にもてただろう。
翌28日はスーパームーンとかで、テレビが騒いでいたとおり、大きくて美しい月だった。かぐや姫がほんとうに月の中にいて、光り輝いているのではないかと思うほどだった。その日もやはり、私の前をあの婦人が歩いていた。私は思い切って声をかけ、少しだけ話をした。彼女は一人住まいで、まもなく息子さんの家族が引っ越してくるらしい。「では賑やかになりますね」と言うと、「ええ、でも私は静かな方が好きなので」という。それから二人で黙って月を見上げ、では、と言って別れた。
それ以来、川岸を歩いても彼女の姿を見ない。あのツタのからまる家に彼女はいるのだろうか。私にはやはり、彼女はかぐや姫で、あの月のきれいな中秋の名月の夜とスーパームーンの夜だけ、今の姿で出てきたのだと思えてならない。

2015年9月15日(火)大仏殿の裏を鹿と歩く

転害門奈良国立博物館のあと、奈良公園から東大寺に回った。もう夕刻だが、南大門近辺には、名物の鹿目あての観光客と、鹿せんべい目当ての鹿がたくさん集まっている。いつもながらの平和な光景だ。
このところ国宝に凝っている私は、●南大門、●阿吽の金剛力士立像(阿形は修復中)、●大仏殿、●盧舎那仏、●大仏蓮弁線刻画(レプリカ)、●八角灯篭、●鐘楼、●梵鐘、●三月堂(法華堂)、●二月堂と、境内を順調に回っているうちに、かなり暗くなってしまった。これからでは正倉院に回っても外構は見せていただけないので、●転害門を最後にすることにした。《●は国宝》
寺の北門にあたる転害門には、観光客の姿はなく、鹿だけがくつろいでいる。疲れた足をひきずる私の周りも鹿だらけ。お互いに悪さをしないので、一緒に歩いてきたが、そのうち、鹿の群れのなかで動きがとれず立ち往生している一台の車にであった。気の毒だが、私にはどうすることもできない。何しろこの鹿たちは、神代の時代に茨城県の鹿島神宮から大神さまを背中に載せて、この地に降臨した神鹿の子孫なのである。苦笑しているドライバーに、お気をつけてと声をかけ、しばらく行ってから振り返ると、車の姿はなかった。無事にあの群れを通り抜けたのだろう。夕闇のなか、鹿たちの目がキラリと光った。

2015年9月15日(火)後ろすがたに魅せられて

奈良国立博物館奈良国立博物館の開館120周年記念特別展「白鳳―花ひらく仏教美術―」が、あと一週間で終わることに今ごろ気が付き、急いで新幹線に飛び乗った。ホテルに荷物をおくとすぐに奈良博に向かう。
居並ぶ白鳳の仏さまの中でも、私がめざすのは薬師寺の月光菩薩さまだ。銅造・鍍金の高さおよそ3メートルの大きな仏さまだ。薬師寺に行けばいつでもお会いできるのだが、展示では光背が無いので、全身ぐるっと拝見できる。見上げるそのお姿の端麗さ、黒光りするお肌のなめらかさ、ちょっと腰をひねった立ち姿の色っぽさ。ウェストのくびれなど申し分ない。ねえこっち向いて、といえば、微笑みながらこちらを見てくれそうな厳しいなかにも優しげなお顔立ち、見ていて飽きないのは、ほんとのイケメンの証拠。
言うまでもなく、月光菩薩さまは、薬師寺金堂のご本尊の薬師三尊像の右脇侍である。東京国立博物館の「薬師寺国宝展」にも日光・月光の両観音さまそろってお出ましくださった。そのとき目にした後ろすがたに、私はグッときてしまったのである。写真もたしかによい、でも圧倒的なあの美しさは、実物でしか味わえない。次にこの後ろ姿を拝めるのはいつのことだろう、と思いながら手を合わせた。