2015年8月24日(日)乱れ咲くキツネノカミソリ

キツネ1 キツネ2国立市に行くことがあったので、いつものとおり、その地名を入れて「城」と書いてネットで調べたら、「谷保城」がヒットした。町の人にきいたら、ああ、城山公園ね、と教えてくれた。雑木林の入り口に「三田氏館跡」という案内板がたっている。あまり来歴ははっきりしないが、土塁が長く続き掘跡も廓の跡もあり、中世城跡の雰囲気はよく残っている。小山というより丘というほどの高さだが、きっとそこに城館があったのだろう。今は個人の住宅が建っていて入ることはできない。しかし雰囲気を楽しむにはじゅうぶんだ。ちょうど彼岸花科のキツネノカミソリが咲き始めていて、雑木林の下を黄色に染めていた。写真をとっていると、通りがかった人が、あちらのほうがよく咲いているよと、連れていってくれた。わあ、きれいですね、と感心すると、昔のほうがずっと多くて、このままだと絶滅する危険があるので、ボランティアで世話をしているのだそうだ。いにしえの城跡をいろどるキツネノカミソリ。名前からして意味ありげな、う~ん、なかなかの風情だ。

2015年8月23日(土)見よ、この向学心!

電車で数駅行ったところに、江戸東京博物館がある。ただいまは特別展「徳川の城~天守と御殿~」と企画展「くらべてみよう江戸時代」を開催中。ここは時々「えどはくカルチャー」と称して展覧会と関連した内容の講座を開いてくれるのだが、今日はその第一回「江戸幕府と城館」だった。事前予約が必要で、1時30分受付開始と書いてあったのに、その時間にはすでに長蛇の列で、どんどんと会場内に吸い込まれていく。会場は満席。平日の昼間なので、参加者の90%は悠々自適の年齢だった。かく言う私もその一人だが。続いて23日(土)には、最近はまっている古文書のスクーリングに行った。ここも驚くことに、広い教室がマンパイである。事務局の話では、昨年の申込みが120名で多いなと思ったのに、今年は180名ですとのこと。こちらは日曜の昼間だったが、やはり年配者が圧倒的に多い。先生の講義が始まると水をうったように静聴する。隣に座った方は、毎年大阪から参加しているという。なんなんだ、この熱心さ! 講義が終わると一目散で家路につく。アッというまに教室は空になる。なんなんだ、この真面目さは!

2015年8月18日(火)雨のあいまに水戸城に登城

OLYMPUS DIGITAL CAMERA雨が窓をたたきつける音で目が覚めた。な~んだ、今日は雨か。昨夜は遅くまでパソコンの前に座っていたので、また目をつぶる。次に目が覚めたのは、11時ちかく。先ほどの雨が夢だったかと思うほどの晴天になっていた。天気予報でも、今日はもう降りそうになく、やっと出かけられる。暑さと雨で、しばらく歩いていない。どこへ行こうか。気分が晴れるところ、それはやはりお城だ。さっそく身支度をして、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城だった水戸城に向かった。
JR水戸駅北側の小高い丘陵に、水戸城址はある。かつての城の広い敷地内に、今は小学校から高校まで学校がずらりと並んでいるのも、教育に力をいれた水戸藩らしい。藩校の弘道館が立つ三の丸のうしろには、県の三之丸庁舎があり、ここに残る空堀は見逃せない。大手橋を渡って二の丸へ。三の丸に建っていた三の丸小学校もそうだが、二の丸に建つ第二中学校も、城跡のイメージをこわさぬようデザインされた塀をめぐらせていて心憎い。本城橋を渡って水戸第一高校が建つ本丸跡へ向かう。二の丸と本丸のあいだの深い堀の下を、JR水郡線がとおっている。高校の敷地内に復元移築されている薬医門が、たった一つ残る水戸城の遺構だ。門を見上げていると、3人の学生がコンニチハと声をかけていった。こちらがお邪魔しているのに、と恐縮してしまうほど心地よい挨拶だった。

2015年8月15日(土)終戦70年、正午に玉音放送を聞く

今年も終戦記念日は暑かった。夫の兄が祀られているので、靖国神社には毎年参拝する。いつも早朝なので、街宣車の姿もなく参拝者の数も少なく、静かに頭をさげられる。千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、どこかの慰霊祭が準備中だったが、その脇でそっと手を合わせた。北の丸公園の武道館では、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われるが、招待されていない身では、正午に黙とうを捧げるしかない。昭和館でおこなわれている昭和20年の写真展を見てから、九段会館(旧軍人会館)の前をとおり、最後に訪れたのは国立公文書館だ。靖国神社からここまで、北の丸公園の外周をほぼ半周したことになる。
入館するとすぐに、昭和天皇の声が聞こえた。大東亜戦争終結に関する詔書(終戦の詔書)を読まれる天皇の声、いわゆる玉音放送がエンドレスで流れているのだ。公文書館では8月29日まで、企画展『昭和20年―戦後70年の原点』として、開戦のときの「宣戦の詔書」から、鈴木貫太郎内閣の成立、「終戦の詔書」、降伏文書の調印、「人間宣言」まで、歴史的資料を展示している。いつもよりずっと来館者の数も多く、みな熱心に展示物を見、説明文を読んでいる。とくに8月10日~15日は、「終戦の詔書」の原本が展示されており、まもなく8月15日正午を迎える時に70年の時を越えて、「詔書」の原本を前に玉音放送を聞くことに、言いようもない感動を覚えた。

2015年8月13日(木)国の宝を守るということ

大阪の藤田美術館が収蔵する美術品を、初めて目にする機会を得た。六本木のサントリー美術館で現在開かれている「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」がそれだ。
明治の実業家・藤田傳三郎氏とご子息の平太郎・徳次郎両氏が、長年収集された美術品の数々は、広く知られている。しかし、常に大阪の藤田美術館で開催され、館外で公開されたことはなく、かくいう私も、一度も藤田美術館に足を運んだことはなかったので、東京でこの国内有数のコレクションを見られることが分かったときは、いささか興奮した。はたして、会場に入ると最初に目に飛び込む快慶作「地蔵菩薩立像」(重要文化財)の気高い美しさに多くの人が息をのみ、それをはじめとする美術品の数々に、会場内は静かな興奮で満たされていった。
明治初年の廃仏毀釈の嵐で、多くの歴史的仏教美術品が海外に流出していく様子を見て、傳三郎氏は私財をなげうって、流出阻止につくした。その結果、藤田美術館の所蔵品の9件が国宝に、52件が重要文化財に指定されているという。膨大な私財を投じて、国宝級美術品の海外流出を防いだ藤田傳三郎氏とその遺志をついだご子息たちこそ、真の国の宝といえよう。昨今話題の国立競技場の建設費に「国がたったの2500億円出せないのか」とのたまわった某元首相は、いったいどう思うだろうか。

2015年8月11日(火)友あり遠方より来たる

中国の大学で日本思想史、中日思想文化交流史の教授をしているR氏は、夫と私が一番信頼を寄せる友人の一人である。氏は来日されると毎回、夫の墓前に額づいてくれる。今回も暑いさなか、霊園をたずねてくれた。霊園の周りはナシ畑で、今は梨の最盛期。知り合いの梨農家の庭で、もぎたての梨をほおばりながら、氏は以前から私がわずかな資金的援助をしている大きな仕事の進展具合を話してくれた。神道の原典を中国語に訳し注釈をするという、私がどんなに頑張ってもできない数年がかりの難しい仕事だ。そういう事を安心して任せられるのも、氏の誠実な人柄と有能さゆえである。梨畑のうえに広がる真っ青な空に、白すぎるほどの雲がゆったりと流れていった。

2015年8月8日(土)上野の動物たちも残業?

この夏の異常な暑さに耐えかねて、夜に散歩する人が多いそうだ。それに夏休みとあって、夜おそくまで開いている美術館や水族館が人気をよんでいる。私も流行の波にのって、最近お友だちになった五歳のAちゃんと、上野の動物園をおとずれた。
入場口に近いパンダ舎は、夜でも人が鈴なりで、人々の視線の先には、大きなおなかに笹を山盛りにのせたシンシン(メス)。今日は遅くまでお客さんが多いなとでもいうように、ときどき人間どもを横目でみながら笹を食べている。象さんペアも、夜見ると実に大きい。薄暮の中を飛び回るコウモリ、震えながら子どもたちにダッコされているモルモットやウサギ、サル山のサルたち、どれもが落ち着かないように見えるのは、夜にもかかわらず園内をカッポする勝手な人間どもに、こちらの気がとがめるせいか。ビルの合間に半分だけ見える花火も、人間のエゴを笑っているようだ。

2015年8月1日(土)小さくても富士は富士

お山開き「8月1日はお山開きだよ」という富士山好きのK氏の言葉に、東京の各地にのこる富士塚をいくつか巡った。あいにくの小雨のなか、午前10時の北千住駅に集まったのは、K氏と富士塚は初めてというMさんと私の3人。さっそく千住神社に。本殿にお参りののち、参道右側の富士塚にのぼる。高さ4メートルぐらいか。すでに女性の先客がひとり。「雨のため滑りやすいので、登るなら自己責任で」という張り紙もあり、注意深く登っていくと5分で着く山頂には、祭壇とお供えがそなえてあった。次の西之宮稲荷神社の「五反野富士」では、ちょうどお山開きの神事が始まるところだった。宮司さんのお誘いで、ありがたく本殿内のお祭りに参列させていただく。富士塚に立つ数多くの石碑には全てしめ縄がめぐらされ、区の登録有形民俗文化財らしいおもむきだ。下板橋の「池袋富士」は縁日で、子どもたちが賑やかにたくさん登っていたのも楽しい。このすてきな富士山も、危険なので年に一度の山開きの日しか登ることができない。それにしても、本物の富士山といい、日本各地の○○富士となづけられた山といい、ミニチュア版の富士塚といい、聖徳太子から始まる富士山好きは、きっと日本人のDNAに組み込まれているのだろうと、いつも思う。