駿府城(静岡県静岡市)

 JR静岡駅に着いたのはすでに午後8時を回っていた。ホテルにチェックインするとすぐに、歩いて5分の駿府城公園に行った。ここに今回の目的である駿府城が立っている。
 夜の駿府城はこんな感じ。まだ入ることはできるようだったが、公園内は真っ暗で人影もなく、おそれをなして、お堀端をあるいて帰った。

 翌朝、再び駿府城へ。家康公がいたころの天下普請の駿府城は、さぞ豪壮なたたずまいだったことだろう。今やその面影はなく、東御門と巽櫓、坤櫓が再建されていたが、天守台は目下、発掘調査中。中央の広々としたスペースでは、お手植えのミカンの木に囲まれて、家康公は一人で鷹狩りにいそしんでいた。
 一周すると駿河の国の名勝をたどれるように設計されている紅葉山庭園は、伸びやかで清々しい大名庭園。お茶室でお茶をいただき、お礼を言って出ようとすると、時間があればと言って勧められたのは、県庁別館21階にある展望ロビーだった。サル年生まれではないけれど、高いところが大好きの私は、さっそく県庁へ。

 日曜日にもかかわらず、あいそのいいガードマンに導かれて、展望ロビーに行くと、わあ、すごい眺め! 遠くの山並みの上には秀麗な富士のお山、真下にはさっきまで歩いていた駿河城公園。「この紋所が目に入らぬか」とばかりの三つ葉葵が、緑の中にくっきりと浮かんでいた。次は晴れた日に来たい。

岡崎城(愛知県岡崎市)

 家康の祖父松平清康が城主だった1542年(天文11年)に、この城で竹千代(のちの徳川家康)は生まれた。幼い竹千代は、周辺の有力武将たちに次々と人質にされたが、桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、その期をとらえて家臣とともに岡崎城を取り戻すことに成功した。家康誕生の城としてこの城は神聖視され、徳川政権下では譜代大名が歴代の城主を務めている。

 城内には、天守をバックにして、竹千代と家康の銅像が並んで座っている。なかなか可愛らしい利発そうな竹千代と、「人の一生は重荷を負うて遠き道をいくがごとし」の遺訓どおりに、苦労を重ねた面ざしの家康が並んでいるのも面白い。これはベンチだそうだ。家康公の横に座ってツーショットはいかが。

 「神君産湯の井戸」では、遊びつかれた子供たちが、「お母さん、この水飲めるの」と聞いている。いくら開運スポットとはいえ、産湯の井戸の水ですよ、飲まないほうがいいんじゃない?

 もう一つ、家康のしかみ像がある。徳川美術館にある同名の有名な画像は、浜松の三方ヶ原で武田の大軍に大敗した家康が、自戒の念をこめて描かせたものと伝えられている。この像は、その画像をもとにして作られたもの。歯痛の人は同情しそうだ。

家康しかみ像

 今は岡崎公園となっているが、見どころも多い城だ。