水戸城(茨城県水戸市)

 黄門さまご一行の出迎えをうけ、JR水戸駅から北にむかって歩くと、ほどなく小高い丘陵地帯にぶつかる。この一帯がかつての水戸徳川家の居城であった水戸城跡である。
 今では、本丸跡には水戸第一高校、二の丸跡には水戸第三高校、第二中学校と茨城大附属小学校、三の丸には三の丸小学校と、学校がズラリとならび、さらに三の丸の一角に藩校・弘道館(国指定重要文化財・特別史跡)が建つ。

 本丸、二の丸、三の丸と連郭式にならんだ縄張は、それぞれ土塁と堀で守られていた。今も、JR水郡線が走る本丸と二の丸の間の堀底をのぞき込んでその深さに驚き、茨城県三の丸庁舎の前の空堀と土塁のみごとさに感嘆の声を上げてしまう。

全体的に、徳川御三家のひとつとしては質素な構えだったが、参勤交代がなく江戸常駐の水戸藩としては、藩主の居城は必要ではなかった。
 戦災のため、かつての建物はほとんど残っておらず、本丸跡にただ一つ残る藥医門(橋詰門)も、佐竹氏の旧水戸城の遺産だ。もともと天守はなくて御三階櫓がその役を果たしていたが、それも空襲で焼け落ち、今も再建されていない。

 城の塀をイメージした校舎が並び、水戸藩が誇る『大日本史』の編纂の地の石碑や、大手門と枡形、城主の像などがたつ静かな城跡を散策すると、水戸が果たした派手ではないが確かな歴史の歩みが感じられる。