ザリガニ取りの母娘

 先日のうだりそうな暑さの日、少しでも日陰がほしくて小川沿いの遊歩道を歩いていたら、3人連れの母娘をみつけた。親水公園に入って何かを探しているようす。帽子をかぶり、アミを持って、足まで水につけて、いかにも夏。楽しそうだ。

  「なに、とってるの」と聞くと「ザリガニ」と元気な声。「もう3匹もとったよ」と自慢げにアミを突き出して見せてくれた。なんだか赤黒いものがゴソゴソ動いている。
 「すご~いねえ、おばちゃんも採りたいな」「やったことあるの」「子どものときね、もう今はダメだけど」といったら、あれなら大丈夫だよ、と指さしてくれた。
 その岩をよく見ると、ほんとに何かいる! カニだ! 岩に彫られた、今にも動き出しそうなカニをそっと触ってみた。「われ汗まみれでカニとたわむる」だな。

「じゃあねえ、がんばってねえ~」「うん、あと2匹はとるんだ」
そばで母親がありがとうございます、と頭を下げていた。いい光景だった。

神の山、ゆりの山

~自分の重さをォ~感じながら坂道をォ~のぼるゥ~
 テレビ「日本百名山」のテーマ曲。だが私は今、それを声に出して歌っているわけではない。山道を登っている自分の体の重さをもてあましつつ、心の中で繰り返しているのだ。
 三輪山の高さは467メートルにすぎず、決して高い山ではない。だが秀麗なこの山は、大物主を祀る、奈良の古社・大神神社の神体山。ただの山ではない。近代以前は禁足地だった。しかも最近は、「超」がつくパワースポットとして知られている。
 登拝する人々は、狭井神社でお祓いをうけて、タスキをかけ、頭をさげて鳥居をくぐって進む。山中では私語はつつしむように、写真も撮らないようにと注意をうけて登るのだ。
 あとは樹々の間をひたすらに上っていくだけだ。丸太の階段、自然石の石段…。歩きだしは先頭だったのに、どんどん追い越されていく。いやあ、つらい。途中の苦しさについては略す。

 息も絶え絶えになって、やっと頂上の高宮神社に着いた。お参りして百メートルほど歩くと、鎮まる奥津磐座が姿を現した。大物主の大神様、とうとう着きました!
 先に着いた大勢のなかに、知り合いの顔があったので、「5年前に登らせてもらったときは、こんなに息がきれなかったのに」と嘆くと、「いやあ、齢(よわい)ですなあ」とのたまう。年と言われたら、返す言葉もない。
 奇しくも今日は、大神神社の摂社である率川神社の三枝祭、有名なゆりまつりだ。そういえば今日も路傍には笹ゆりがチラホラ咲いていたっけ。
 つらかったけど楽しかった。神様、ありがとうございました。

ある思い出

 最近、鉄道が高架ばかりになって、踏切というものを見ない。だから数日前、都内で久しぶりで踏切を見かけて、ふと、忘れていた遠い昔のことを思い出した。

 幼いころの私の家は電車の線路の近くにあった。学校からの通り道には無人の踏切があり、そこを渡ることは両親からかたく止められていた。

 小学校に入ったばかりのある夕方、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんが走っていくので、私もわけもわからず追いかけていった。たちどまった子どもたちが息をころして見つめていたのは、あの踏切だった。そこには無造作にムシロが広げてあり、そのムシロからは足が見えていた。「女だな」と、人だかりのなかの男の人がポツンといった。

 それからしばらくは、その踏切を避けて学校に通っていたが、しだいに恐怖心もうすれて一人でも近くを通れるようになったある日のこと、踏切を電車が走り去り、遮断機があがるとそこ若い女の人が立っていた。

 夕食のとき、踏切に女の人が立っていたよ、と私が言うと父が、「そりゃ、あの女のユーレイだな」と言った。私は恐しさのあまり泣き出し、それから数日は夢でうなされたそうだ。父が母にこっぴどく叱られたことは言うまでもない。

本日の収穫

 昨年から毎月一度、友人たちと連れ立って、あちこちの神社の鎮守の杜を歩いている。グループにはいちおう「鎮守の杜見守り隊」というけっこうな名前がついているのだが、ほんとに見守っているのは数人で、あとの大多数は、フィトンチッドをあびつつ、勝手なおしゃべりをしながら歩いているだけなのだが、それがとても楽しい。
 先日のさつき晴れの日に、9人で世田谷区の神社を6社、見守ってきた。
 アジサイが咲き始めた緑道を気持ちよく歩いていると、庭の木々に手を入れているご夫婦にであった。
 「〇〇神社はあそこですか」と聞くと、そうだという。「あそこの神社は縁起がよくて、宝くじなんかよく当たるんだよ」とも。
 お二人の足元には、切ったばかりのビワの木。小さいけれど実がたわわについている。
 「わあ、ビワ、すごいですね!」「持っていくかい」「え、いいんですかあ」
 遠慮するフリをしながら、うれしくお言葉に甘えた。縁起のよい神社で、宝くじならぬ、気前のよいご夫婦に当たった。
 ビワを抱えてルンルンで帰宅すると、隣のご主人が庭のモッコクの剪定をしていた。
「枝を少しいただいていいですか」「好きなだけどうぞ」お礼にビワのひと枝をさしあげた。
 どうですか、この日の収穫。モッコクとビワに囲まれて幸せな私。きっと日ごろの行いがいいんですね。

春は自転車に乗って

 春。雪がとけてメダカが泳ぎだし色とりどりの花々がほころび始めるこの季節は、日本では新しいことが始まる心躍るときだ。
 私のところも、うれしいことに、例外ではない。我が家の狭い玄関先に、この4月から、親戚の女の子の自転車がとまっているのだ。これを変化といわずしてなんと言おう。
 JRで高校に通うことになった彼女は、朝、自宅から自転車で来て我が家に駐輪、近くの駅から電車に乗る。夕方になると電車で帰ってきて、我が家から自転車で自宅にもどるというルーティンだ。
 そういうわけで、私にはあたらしく駐輪場のオバサンという肩書が増えたわけだが、あいにく夜型人間なので、肩書には似合わず、起床時間は遅い。ボサボサ頭であくびしながら、おもむろにドアからそっと覗くと、黒い細身の自転車だけが見える。むろん、本人はすでに高校に行ってしまったあとだ。
 それでも、玄関先に自転車が置いてあるなんて今までにはなかった新鮮さだ。よく女性が護身用に、表札に男性の名前を書き加えたり、男ものの洗濯物を干したりする話を聞くが、さりげなく自転車が置いてあるのは、見かけ上もなかなかよいもの。ルンルン、と鼻歌も出ようというものだ。
 歓迎のつもりで、玄関に桜の花束を置いたりしたが、自転車の出し入れには邪魔だったかもしれない。
 これから3年間、雨の日も風の日もかようであろう彼女の自転車が、何事もなく玄関先にとまり続け、無事に卒業の日を迎えることを祈っている。
 「おはよう」「おかえりなさい」「きをつけてね」

目黒川のサクラ

 東京にも、上野公園や千鳥ヶ淵公園など桜の名所は数々あるが、近ごろ名を上げたのは目黒川。川の両側から川面にかぶさるように咲くおよそ800本のソメイヨシノを見ながらの散策は、若い人たちに大人気だ。
 東京でサクラの開花宣言が出されてから、しばらく雨模様の寒い日が続いたせいか、訪れた3月28日の目黒川のサクラは満開にほど遠く、川に沿ってそぞろ歩く人の姿もまばら。屋台のダンゴ屋さんもまだ暇そうだった。
 それでも膨らんだつぼみのおかげで木々はなんとなく薄紅色。
 満開を待って桜まつりが開かれ、大道芸やパフォーマンス、夜にはライトアップもあるらしいが、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と兼好法師も言うように、満開ばかりが花ではない。そこはかとなく咲き始めのサクラもなかなかよいものだ。

 

 新学期の準備に余念がない金次郎くんの足元では、ムラサキケマンの花が咲く。今週末の目黒川沿いは、人で満開だろう。

これはうちの木です!

 大寒の今日は、東京でも小雪がちらつき、ほんとに寒かった。友人の家で用事を済ませ、そそくさと帰るつもりが、途中の公園でひっかかってしまった。人間には大寒でも、公園内の植物たちは春の準備で、すでに新芽を出していたり、ヒイラギナンテンなどは花を咲かせている。

 ゴッホの絵みたいなカイヅカイブキの並木など見ながら歩いていたら、シラカシの木を伐採している職人さんたちがいた。切ったばかりの枝はまだ瑞々しい。もらってもいいですかと尋ねると、いいよ、すきなだけ持って行きな、との返事。枝ぶりのいいのを2、3本紙袋にいれて、ありがとう、と振り返ったら、もう職人さんたちの姿は消えていた。

 口笛を吹きたくなるくらいの気持ちで路地を歩いていたら、可愛い小さな花が咲いている植木を見つけた。葉も緑だけでなく、赤いのや黄色のも交じってとてもきれいだ。なんの木だろう。思わず手を伸ばして葉っぱに触った。

「ちょっと、その木、切るつもり」振り向くと、玄関で年配の女性が、こちらをにらんで立っている。
「あ、あの、きれいだから写真撮らしてもらおうかと思って」
その老婦人(まあ言ってみればおばあさん)は黙って、私の紙袋を指さした。さっき公園でもらった木の枝がこぼれるほどたくさん入っている。
「ああ、これは公園で切っていたのをもらったんです」私のしどろもどろの言い訳。
「この木はうちの木なんだからね」おばあさんは、まるで孫を守るように、植木をかばって仁王立ち。
「すみません」私はあやまる必要もないのに、おばあさんの権幕に慌てて退散した。
 よその木を勝手に切っていく怪しげな女にみえたのだろう。そういえば、庭もきれいに整えられていた。きっと大事に手入れしているんだな。葉に触ったのがまずかった。おばあさん、心配させちゃってごめんなさい。春を目前にした下町ならではのできごとである。

拾う神もいますように

 正月には初詣。そんな子どものころからの強迫観念に背中を押されて、家を出た。

 まずは地元の神社にごあいさつ、と思ったら、なんという人の波!こんなに氏子が多いのなら、お祭りの時なんかもっと協力してくれてよさそうなものなのに、と思わずグチもでてしまう。しょうがないから脇のほうからご神前に、また来ますのでと頭をさげ、電車に乗って御茶ノ水駅に向かった。今年は思うことがあり、力のありそうな(と勝手に信じている)神田神社に行きたかったのだ。

 だが、ここも道いっぱいに参拝者の長い長い行列。警官まで出て整理している。神様、あなたにすがりたい人がこんなに多いのですよ。でもどうしよう、私もすがりたいのに、ご神前に近づくことなんかできやない。

 なに、表があれば裏もあるさ。神社をグルッと回って裏参道に行ってみると、やったね!あまり知られていない裏参道には並ぶ人もいない。正月名物の猿まわしを見る人もさっぱり。喜んだのも束の間、境内は参拝者であふれていて、ご神前などはるか遠くに見えるだけ。すみません神様、出直します。

 近くの湯島天満宮など、鳥居までも近づけない。仕方ないから通りにでると、大勢の老若男女がぞろぞろと歩いていく。コンサートか何かあるのだろうか、興味半分でついていくと、ガードマンが「湯島天神参拝者最後列」的なプラカードを持って立っていた。なんと、天満宮に参拝したい人がここまで並んでいたのだった。もうすぐ試験のシーズンだもの、神様、あなたも大変ですね。

 でも肝心な自分のことをまだ頼んでいない。妻恋神社は参拝者はすくないけれど、色っぽいこと頼むわけじゃなし、そうだ、湯島聖堂に行こう。あそこは孔子様を祀っている。国籍は違えど学問の神様だし…。

 湯島の聖堂は思ったとおり、参拝者も少なかった。これならきっと神様も私のこと覚えてくれて、頼みも少しは聴いてくれるかも。それにしても初詣でのハシゴは疲れる…