浜松城(静岡県浜松市)

 徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごした。この間に家康は姉川、長篠、小牧・長久手などの戦いを経験し、1572年の三方ヶ原の合戦は関ヶ原の合戦以上の激戦で、命からがら逃げ帰ったとつたわっている。すなわち、浜松在城17年間は、家康にとって、その後の徳川の栄光を築くための試練の時代だったのだ。
 野面積みの石垣のうえに、昭和33年に作られた復興天守が建つ。天守台に比べて天守がかなり小さい。この規模からすると、かつての天守は、現在のものより一回り以上大きい、巨大な天守だったとされている。

浜松城は、歴代城主の多くが江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。どのくらい出世したかというと、浜松城の歴代城主のうち、老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人。そのうちの出世頭は、「天保の改革」で有名な水野忠邦で、幕閣入りを果たすためになりふりかまわず浜松城主になり、さらに老中にまで登りつめたというからたいしたものだ。

 浜松城近くの東照宮境内には、家康31歳・秀吉16歳の出世像が立つ。二人の間が空いているのは、ここに立って記念写真をとると出世するとのこと。今年のNHK大河ドラマで取り上げられた「女城主井伊直虎」の旗もたつ。今まで見向きもされなかった小さな井伊谷は、今は観光客でにぎわっている。これもある意味、出世にあたる。

 

 城を囲む公園には朝から多くの市民があつまり、体操やら散歩を楽しんでいる。近くの学校に登校する自転車姿の少年たちも目立つ。城をはるかに見上げて、彼らも将来の出世を夢見ているのだろうか。

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