岡崎城(愛知県岡崎市)

 家康の祖父松平清康が城主だった1542年(天文11年)に、この城で竹千代(のちの徳川家康)は生まれた。幼い竹千代は、周辺の有力武将たちに次々と人質にされたが、桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、その期をとらえて家臣とともに岡崎城を取り戻すことに成功した。家康誕生の城としてこの城は神聖視され、徳川政権下では譜代大名が歴代の城主を務めている。

 城内には、天守をバックにして、竹千代と家康の銅像が並んで座っている。なかなか可愛らしい利発そうな竹千代と、「人の一生は重荷を負うて遠き道をいくがごとし」の遺訓どおりに、苦労を重ねた面ざしの家康が並んでいるのも面白い。これはベンチだそうだ。家康公の横に座ってツーショットはいかが。

 「神君産湯の井戸」では、遊びつかれた子供たちが、「お母さん、この水飲めるの」と聞いている。いくら開運スポットとはいえ、産湯の井戸の水ですよ、飲まないほうがいいんじゃない?

 もう一つ、家康のしかみ像がある。徳川美術館にある同名の有名な画像は、浜松の三方ヶ原で武田の大軍に大敗した家康が、自戒の念をこめて描かせたものと伝えられている。この像は、その画像をもとにして作られたもの。歯痛の人は同情しそうだ。

家康しかみ像

 今は岡崎公園となっているが、見どころも多い城だ。

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