伏見城(京都市伏見区)

 秀吉が隠居城として建造した初代の伏見城は指月山と呼ばれる場所に建てられたが、地震により倒壊。二代目伏見城は現在の木幡山に建ったが、ここで秀吉は他界し、その後に家康が入ったが、2年後に東国に行っているあいだに攻撃され、焼失。三代目は家康が再建し、家光の時代まで使用されたが、その後、廃城になった。
 秀吉が没し、家康・秀忠・家光が将軍宣下を受け、現在その跡地には明治天皇・皇后の御陵がたつという、なかなか数奇な運命をもつ城だ。
 天皇の御陵となっている地域には立ち入れないが、その参道には伏見城の石垣の石がならび、見ごたえがあり、歩いてみる価値がある。

 しかたない、われわれ庶民は、キャッスルランドの跡地に建つ模擬天守でも見にいこう。
 現在、木幡山にそびえる天守は、レジャー施設として建てられた模擬天守で、本来の伏見城ではないことは、以前に書いた。それはそれとして、ほら、なかなか立派な門ではないか、家紋がピカピカと光っている。
 天守も派手で、いかにも秀吉好みだ。これはこれで、けっこう好きという人もいるかもしれない。残念ながら、耐震基準に外れるため、内部には入れない。

 

近くの御香宮にも寄ってみよう。ここは明治維新の際に鳥羽伏見の戦いが行われた名高い所だ。
 門には「伏見城大手門」と堂々と看板がかかり、境内には伏見城跡残石とかかれた巨石が無造作に置かれ、さらに、「この立派な本殿は徳川家康が造営した」と書かれている説明板など、伏見城の面影が残るのはわれわれには嬉しい。

 広すぎてタクシーを利用せざるを得なかったが、運転手さんが話し好きで、当時住んでいた武士の名前がつけられた町名など、いろいろと教えてもらった。こういうのも旅の面白さだ。

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